
もうだいぶ前の話。
ある知人から連絡があり、
その知人がやってきました。
話を聞いたら
「お金を貸して欲しい」
という話でした。
5万円貸して欲しいとのこと。
普段、
そういった話をしてこない人でした。
たぶん、困り果てて恥を承知で
私を頼ってきたのだと思います。
5万円という金額、
安い金額ではありませんが
貸せない金額ではありませんでした。
しかし、その時の私は
「今、貸すと癖になるから
貸さないほうがいい」
と判断してしまい、
貸せないと伝えたのです。
貸せないと伝えた後の知人の表情。
今でも覚えています。
私はその時のことが
ずっと心に残っています。
なぜ貸さなかったのだろう、と。
恥を承知で借りに来た知人。
貸せないと決めた私の判断。
あの時の後悔が
ずっと心にあります。
お金って一体、何なんだろう?
「お金って一体、何なのだろう?」
という、この問い。
人生のいろんな局面で
何度も考えさせられるテーマです。
お金に対する
尺度というか価値観というか、
お金というものは
我々の生活や精神面において
どのようなポジションの道具なのでしょうか?
今の私は昔の私と比べて
お金に対する価値観がだいぶ変わりました。
正直なところ、昔の私は
お金に対してセコいというか
自分の手持ちのお金が減ることに
抵抗感があったのだと思います。
しかし、今の私は
他人のためにお金を使うことに
抵抗感はあまり持たなくなりました。
お金というのは
生活する上で必要なものですが、
お金がすべての考え方だと
窮屈になりやすいものです。
お金というのは
あくまでも道具の一つであり、
適切な使い方を心得て使うことで
生活の満足度は維持されます。
お金は心の鏡?
カッコいい言い方をすると
お金というのは
価値の媒介であると同時に
心の鏡でもあるのかなと思いました。
つまりお金は道具でありながら
持つ人の価値観や
不安、愛情、信頼といった
目に見えない感情や思考を
映し出す鏡のような存在だと思うのです。
昔は手持ちのお金が
減ることに抵抗感があった私。
これはおそらく多くの人が
共感することではないでしょうか。
(ある種の自己防衛本能的思考なのかも)
でも今は
他人のためにお金を使うことに
抵抗感がなくなった私。
つまり、この変化を自己分析すると
お金に対する精神的な自由度が増したとも
言えるなと思いました。
あの時、貸さなかった。
その後悔があった。
だからこそ、
今は違う選択肢も考えられる自分に
成長できたのかな?
お金って自由を得るための手段
でもあるけれど、お金に縛られると
自由を失いやすいものですね。
心の成熟度とともに
お金の捉え方、
扱い方も変わってくるのが
我々、人間なのですかね。
そのことに気付かせてくれた
あの時の後悔に感謝!